着任からまもなく1年!札幌▶水戸▶札幌を経て潮来にやってきたとある女性のお話です
地下鉄もあるし、買い物をするところだってたくさんある…。
何一つ不自由ない札幌を離れ、地域に密着して活動する道を選びました。
ラジオ局の勤務から地域おこし協力隊に。一度しかない人生なんだからやりたいことやるしかあんめよ!そんな私のお話です。
佐藤彩希(さとうあやき)
1991年5月生まれ。北海道札幌市出身。大学卒業後、茨城県のラジオ局で3年勤務。一度札幌に戻るも「どうしても茨城で暮らしたい!」と茨城県潮来市の地域おこし協力隊に。
現在は潮来市の小学生とともに地域住民に取材しラジオ番組を制作する「こどもジャーナリスト育成事業」を進めながら、市内の撮影などを通してSNSでの情報発信を行う。
- いばらぎ?いばらき?で、どこそこ?
- 自分の活動を家族のそばで見てもらえたら
- 気づけば考えていた茨城のこと
- 茨城県“潮来市”の“地域おこし協力隊”に決めた理由
- 時には“チョーク”を時には“マイク”を
- これからのこと
いばらぎ?いばらき?で、どこそこ?
アナウンサーになりたくて全国各地のマスコミを受験し、採用通知をもらったのが茨城県のラジオ局でした。
実は2回目の大学受験(浪人経験あり)の時、つくばの大学を受けていたので「茨城県」の存在は知っていました(結局北海道の大学に行きましたが)。でも就職試験のときに改めて書類を書いた時、「あれ?“いばらき”ってどうやって書くんだ?」と、そんなレベルで茨城県に関しては無知だったんです。茨城が北関東だということも、海があることも何も知らなかった。それでも縁あって茨城県での暮らしが始まりました。
「車ないとどこもいけないじゃん!」
「街灯少なくない?!」
茨城に来て1か月はそんなことばかり考えていました。それでも生活するうちに、不便(今となっては不便とも思わない)が心地よく感じるようになったんです。
自分の活動を家族のそばで見てもらえたら
シフト制で働いていたので盆も正月もなかった私は、めったに帰省することがありませんでした。茨城のラジオ局に勤務して3年が経とうとするころ、祖母が体調を崩してしまい、今まで自由気ままに過ごしていた自分の人生を振り返ることになりました。
「できるだけ近くで自分の元気な姿を見てもらえたら」そう思い、札幌のラジオ局を受験し社会人4年目の春から札幌に戻って働くことになりました。自分の声を電波に乗せて知り合いに届けることはとても幸せでした。母校(高校)で中継するという貴重な体験もできました。
「いつも聴いているよ!」
「近所の人に(務めているラジオ局を)聴くように言っといたから!」
そんな風に言ってもらえることが増えました。自分の声がちゃんと届いていると実感する日々が続きました。
気づけば考えていた茨城のこと
実家から職場に通っていたので、一人暮らしの時に比べれば金銭面が楽だったのは確かです。でもいつもなんだかモヤモヤしていました。「本当にこれでいいのかな。」自問自答する日々が続きました。
札幌で働くようになって約1か月後、祖母が亡くなりました。
入院している間、平日も休みの日も毎日お見舞いに行きました。私が中継で見聞きしたことをなんでも話していました。すると、祖母はこう言いました。
「茨城にもこういうところがあるのかい?」
今ある仕事を一生懸命やることが一番だと頭では分かっていても、気持ちがついてきません。どうしても「私が好きな茨城のことを茨城から大好きな家族に伝えたい」と強く感じました。このモヤモヤが自分の中で渦巻いて、気持ちに折り合いがつかなくなってしまいました。そこで茨城で働くことを決意しました。
茨城県“潮来市”の“地域おこし協力隊”に決めた理由
そもそもなぜ地域おこし協力隊なのか、ですよね。
「茨城で働きたい」ともやもやしている時に地域紙にたまたま「地域おこし協力隊」の文字を見つけてこれだ!と思って応募したのがきっかけです。
茨城で働いているころ、潮来市のお隣、稲敷市の地域おこし協力隊に取材したことがありました。当時の稲敷市の協力隊は空き家をリフォームして地域の憩いの場を作るという取り組みをしていたんです。お給料をもらって外で作業ができる、なんて素晴らしいんだろう!事務作業が苦手な私にとって地域おこし協力隊という仕事は憧れの一つになりました。
茨城で働けるのであればどこでもいいというのが正直なところでした。とはいうものの、寒いのが極端に嫌いで、雪が降る場所にはなるべく住みたくなかったので、県西・県南・鹿行を考えていました。
それに加えて、仕事内容が決められているのも嫌でした。まずは自由にやらせてほしい。わがままですね(笑)。
雪が降らなくて、仕事内容が自由、この条件に合っていたのが潮来市だったのです。
こんな理由で応募した私を受け入れてくれた皆さんには本当に感謝しています。
時には“チョーク”を時には“マイク”を
これまで地域おこし協力隊として、SNSでの情報発信をメインに行ってきました。
今年からは、「こどもジャーナリスト育成事業」という私のこれまでのキャリアを活かせる事業計画を提案し、学校で総合学習の時間を使って勉強しています。
内容は、こどもたちと潮来市のキーパーソンを取材してラジオ番組を作り上げて発表するというものです。
授業が始まると学校の先生がしっかりサポートしてくれるし、こどもたちも素直に、そして実直に教えたことに挑戦しようとしてくれるし、とにかく環境に恵まれてなんとか無事に取材の日を迎えることができました。
夏休み明け、2学期にはいよいよラジオ番組の制作に入ります。「これ」「あれ」はラジオでは伝わりません。見たこと・感じたことをこどもたちの言葉で表現していけるような授業を展開していく予定です。
“チョーク”以外にも、“マイク”を握ることもあります。
週末にイベントがあると市内市外に関わらず司会のお仕事をさせてもらっています(これは協力隊としてではなく)。
お仕事でイベントに参加するからには知っておかなければならない情報がたくさんあります。それらを勉強するだけでも地域のことを知ることができるし、何よりも人とのつながりが広がります。どうやら取材をしてお話を聞いてマイクを握って喋るというのは私の性にあっているようで、イベントが立て込んでいてもうまく息抜きして毎日全力で楽しめちゃうんですよね(まだ20代だからかな)。
これからのこと
とにかく今を楽しむこと!協力隊の仕事も、司会の仕事もアルバイトも、手帳をみればびっしり詰まっていますが、人生一度きり。楽しんだもん勝ちです。疲れたときは炭酸飲料を飲んでリフレッシュ。これにつきますね。もっと潮来市のこと、茨城県のことを知るために動いていきたいです。