こんにちは!
初めて親族以外の卒業式に参加した協力隊のあやきです(^^)
これまで、弟や妹の卒業式には参加した記憶が…あるようなないような…
コロナウイルスの影響で潮来市内の小中学校は3月12日に一斉に卒業式を執り行うことになりました。こどもジャーナリスト育成事業でお世話になった大生原小学校は3月23日が卒業式予定だったので、だいぶ予定を早めての実施ですね。
伺うことは可能でしょうか・・・?
卒業式が12日一斉に行われることになり、私の頭をよぎったのは「大生原小の卒業式、行けるかなあ・・・」でした。
新型肺炎が大流行する前から「卒業式は行くぞ!」と予定を開けておいたのですが、状況が状況なので無理かなあとあきらめモードでいました。
そんなある日、たまたま大生原小の先生が市役所に来ていて、思い切って尋ねてみました。
「こんな状況ですが…卒業式に伺いたいと思っています。可能でしょうか…?」
するとその先生は、「すぐに校長に確認してご連絡差し上げます!」と言ってくださいました。
翌日、5,6年生の担任の先生から電話があり、
「教職員席にイスをご用意いたしますので、ぜひ!」
とのご連絡をいただきました。ありがたいかぎりです。
たった半年、されど半年
わたしが大生原小学校とかかわりをもったのは、約半年。担任の先生や大生原小学校の教員の方に比べれば、ほんの一瞬の時間です。それでも私にとってはものすごーく濃密な時間でした。
itakocity-ayaki.hatenablog.com
初めて会ったお茶摘み体験から、
itakocity-ayaki.hatenablog.com
学校での授業、そして発表会。
itakocity-ayaki.hatenablog.com
この事業が、潮来市で初の試みにもかかわらず、受け入れてくださった先生方には感謝してもしきれません。
卒業生は5人だけ
さあ、いよいよ卒業式です。
在校生はいません。卒業生5人と保護者、教員のみです。
この道を歩きます。しんと静まりかえった体育館をこどもたちはどんな思いで歩くのでしょう。
卒業生の入場です
定刻になり、卒業生の入場です。
マスク着用という少し異様な光景ですが、ウイルス感染拡大防止を考慮しての対応となりました。





中学校の制服を着た卒業生が入場してきます。
思い出がいっぱい
こどもたちの姿を見ただけでウルっときちゃった。
自分のこどもじゃないけど、自分のこどもみたいにいとおしく感じました。
証書授与。
出す手は右、左だっけ?左、右だっけ?どっち回りだっけ?そんなことを気にしながら受け取った記憶があります。
証書を受け取ると、降壇する前に自分の夢と感謝の言葉を述べます。
「将来の夢は〇〇です。そのために××をしていきます。」
「お母さん、お父さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。」
こんなの聞いたら、泣いちゃうよね。
卒業生の歌は「さようなら」でした。わたしのときは「旅立ちの日に」だったような…?みなさんは何を歌いましたか👀?
市内の中学校では「つぼみ」を歌うところが多かったようです。
伝統の”鐘”をならして
大生原小学校の卒業式は、退場時に鐘を鳴らします。
体育館の向かい側がかつて木造建物だったころ、海軍関係の訓練学校だったそうです。
朝や昼、時を知らせるチャイムとしてならされたのがこちらの鐘です。戦争でもっていかれることなく、無事に残っていました。海軍学校を取り壊す際、「うちの小学校でもらっていいかな?」と当時の校長先生がかけあい、いまこのように卒業式で使われています。
学校創立からずっと使われていたわけではなく、しばらくは倉庫の奥底にしまわれていました。「あるんだったら使おうよ!」と何年か前に日の目を浴びることになりました。
吊り台は般若倶楽部ということろから寄贈されています。


実は、入学式でもこの鐘が鳴るそうです。
ただし鳴らすのは6年生。
つまり、毎年この鐘を目にしていても鳴らすことができるのは1回だけなんです。
(普段は校長室に保管してあるらしい)
退場する頃には、保護者もこどもたちも涙ぐんでいました。(ウウつられる・・・)
中学校でも自分らしく!
最後のホームルームが終わってから、お見送りです。
花壇のある広場に卒業生が来るとのことで待機しました。





お花と手紙をプレゼント(*^^*)
「わあ!来てくれたんですね!」という表情をみせてくれて、お姉さん、スゴク嬉しかったよおおおおおおおおお(´;ω;`)
すてきな体験をさせてくれてありがとうございました。
中学校に行っても自分らしくいてください(((o(*゚▽゚*)o)))✨
おしまい