お金があるので、わたしが決めます

こんちは、あやきです。ネット漫画みたり、ラジコ聴いてたり、畑やったりで、本なんて読む暇ないんじゃ?と思われがちですけど、週に一冊は読んますよん。

 

今回は「吾人の任務」ってのを読まねばならんかったのがしんどかった。(1800円くらいらしいから気になる方はどーぞ)

※友達には 「吾人【笑】」と言われまくる


そもそも読みたい本は新作も含め、怖感を大切にした「これだ!」とシンパシーを感じるものを選びたいの。

 
あと「みんなで一緒によみましょ」みたいな読書会(特に興味わかなそうなやつ)ってのは大嫌いなのです。まあ仕事だからやるけどね。朗読会とかは行ってみたい。

 

逆の意見があっても、論理を持って制す、的な印象を受けました。

わたしが札幌の会社を短期間で辞めたのにはそこに理由があるんだと思うな。

「こうしたら、こうなるから、ハッピーだよね」っていう、言ってしまえば机上の空論?これにはついていけなかった。もっと原生林をかき分けてオアシスにたどり着いて生き抜く方法を知り得ていくような、泥臭い路を歩んでいきたい。


オラの成功体験はこれ!バイブルにしてくんちょ!オラについてくる人はみんな共感してくれてるからうまくいくよ!みたいな。もちろん成功体験を聴いて参考にはしたいけど、いくつかの場所でうまくいってたからってそのまんまもってこられるのはちょっと、いや、めっちゃくちゃ抵抗ある。


わたしが考える「共感」の「き」の字もない。小学生でもできる元気な挨拶もない。言葉に映像がのってない。

いやだ、こんな人とは働きたくない。

っていうかオラってだれ?

 

仮にこのわたしの記事が目に入って、数ヶ月後仕事なくなってたら、出るべきところに洗いざらい出そうかなと思うくらいお金は稼ぎたい。はて、なぜリスクゼロから増やそうとしてしまうのだろうか(p_-)

 

いちいち辞書を引かないとわからない言葉の羅列はラジオでは何の役にも立たない。その言葉が最適な場合もあるんだろうけど、できるだけ小学生いでもわかるに落とし込んでほしいな。専門書じゃないんだから「参照」ばっかりだと萎えるな。

 

話は変わるけど、わたしが社会人1年目から3年目までアナウンサーやってたころ、まだまだ左右がわからず行きたいとこ行きたい!と行ったら連れていってくれる先輩が現れて、「のみにいくぞ」っていってくれる先輩があらわれて、「ご飯食べに行こ!」って雷雲横目にバーベキュー始めそうになって退散するような同期がいて。恵まれてたな。

仕事も同期で取り合ってたかな。

「こっちの仕事、どーしてもやりたい!「わたしも!」同期アナと話し合うこともしばしば(たぶん)。


あの時は、お互い学んできた仕事に内容は、フィードバッくらいしてたな。「あやきちゃんならできたと思う!」とか逆も然りの会話とか。


「早朝勤務入りすぎて公開放送行けません怒」って抗議を上司にしたり。

上司からしたら「面倒な部下だなあ」と思っていたことでしょう。わたし自身もにどーせ聞いてくれない上司」としか思ってなかったけど、少なくとも同じ会社にいるだけで心拍数100が超える嫌な上司は後にも先にも1人だわん。


存在が労災系って、どっかの大学の総長みたいよね。

 

あ、めちゃくちゃ長くなりました。

感想ね。

前半 すごいっすねえ

後半 カタカナ多いっすねえ

失敗事例(辞めていった人の理由とか)が少なすぎる。成功体験ばかりだと怪しい印象を持つ

この例を一般家庭レベルに落とし込んだ例えが欲しかった。家庭とか学校なんかは社会の縮図だと思っているので、だれにでもわかるレベルまで落とし込んで話を展開してほしいと思った。あと、やはりやカタカナ語が多い。

 

ま、いいや。ちゃんと読んだから。ペンで印つけて。押しつけられなけりゃあいいよ。考え方は自由だもの。

 

 

つれづれです

ふと、本当にふと思ったことが。

同じ職場で働いている人と何気ない話をしていたら、彼女が担当していた番組の最終回を見学していたことを思い出したのね。

 

新卒で入った会社の研修はスタジオ見学。ラジオ番組オンエアの流れを見るってもの。スタジオに入って声を出すわけでも、メールチェックをするわけでもなく、ただ見てるだけ。「これって何の意味があるんだろう?」って当時は思ってたけど、現場を見るって大事だなって思います。体感することって大事。

 

で、その彼女の最終回を見たとき、エンディングで彼女自身もスタッフもうるっときていて、それが伝播したのもあって私もうるっときたの。「ああ、こんなに想いを『ことば』と『間』と、話術とかいろんなことぶっとばして全身で伝えられるものがあるんだ」って感じた瞬間でした。それと同時に、「この人みたいな『ことば』を届けられるようになるには何をしていけばいいんだろう」って。

 

話は戻るけど、私が彼女の最終回の時にうるっときたのにはもう一つ理由があって。
大学生のころ1年半、あれ、2年くらいコミニュティラジオで喋ってたことがありました。途中で就活だったり何だったりで穴をあけることが多くありました。たった週一回のチャンスだったのに。

それでも最終回のときにはグッとくるものがあって。「さようなら!」って言ってカフ(マイクのオンオフ)を下ろした途端、ぶわっと涙が出てきて。ラジオを聴いてくれていたリスナーさんの顔(実際のものとは多分違う、わたしの想像上のもの)が走馬灯のようにドバドバと脳内を駆け巡って。

 

彼女の最終回と、わたしのコミニュティでの最終回が被って、昨日たまたま思い出されたわけです。被るなんて上から目線な感じもするけど、似てる感覚があったのです。

 

なんだかんだあって、結局マスコミにいます。いや、ラジオにいます。わたしの幼少期の家族での道の駅巡りをサポートしてくれたラジオ、学生時代に朝のリズムを作ってくれたラジオ、「これ」「あれ」が通じないことを教えてくれたラジオ。
テレビ見ながらラジオ聴いて本を読むという聖徳太子の弟子みたいなことしてます。

 

よし、明日もがんばーろー!

とまと成長にっき

ごぶさたしております。

 

雨でげんなりしておりまする。あやきです。毎朝のお楽しみ、畑をじっくり観察するのと(若干憂鬱になりながらスタートする)ランニングができませぬ。グヌヌ

今回はトマトの成長日記です✨

続きを読む