わたしのデリシャスバースデー

 

こんばんは。無事に30歳を迎えたあやきです。お祝いの言葉、プレゼント、本当にありがとうございます。
文字にするほどでもないけれど、29歳までずっと心の片隅にあった想いを音声にちょろっとまとめてみましたので時間のある時に聴いてみてくださいまし。

 

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別に30歳代になったからどうこう、っていうわけではないんだけども、このご時世だから公共施設に出入りするときは所属と名前とかを書く機会が多いわけですよ。その項目の一つに“年齢”があるのね。
ついこの間までは「29」って書いていたところに「30」って書いたときは、ああ、誕生日を迎えたんだなと実感しました。

それと、これは自動的に表示されて改めて気づいたんだけど、体重計の年齢表示。
毎晩お風呂に入る前に体重計に乗って体重やら体脂肪率やら肥満率やらをチェックするわけですが、最初に表示されるのが年齢なのね。ほんの数時間前までは“29”の表示だったのに、“30”の表示を見た時、思わず「うわっ」って言っちゃった。特に嫌がることでもないんだけどね('ω')
今ある体重計が家にやってきてからずっと十の位が“2”だったからそこが“3”になったときはやっぱり不思議な気持ちだったな。

私と同い年、もしくは少し先輩、もっと先輩方は、30歳を迎えた時、または30歳代をどうやって過ごしたんだろう。仕事、趣味、その他もろもろ。何に一番打ち込んでいたのか、打ち込んでいるのか。とても気になるところです。

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デリシャスバースデー

思い返せばわたしの両親は22歳になるときにわたしを生んで26歳のころには3児の父母だったのよね。両親が今の私と同じ30歳だったころ、一番上の子が8歳だったわけだ。小学2年生かな?

その状況が全く想像できない。いまの自分に小学2年生の娘と年長さん、幼稚園に入る前の子供がいるなんて。

たまに若くして子を授かった両親の苦労とかその中でも感じる楽しさを想像してみるのですが、その時に決まって思い出す場面がありまして。

みなさまおなじみヤクルトの配達員として働いていた母は、雨の日も雪の日も配達に行くんですよね。仕事だから当然なんだけど。ルート営業的な配達もあったと思うんだけど、飛び込み営業的なのもあったのかな、たまにウキウキ気分っぽいときがあって。
たまに子供たちがお年玉とか親戚に会ったときの臨時収入でためていたお金でヤクルト商品を買うと(ストックが自宅冷蔵庫にあった)、それが母の売り上げになっていくようで、売上表みたいな紙に正の字を加えていく母の姿、これが鮮明に思い出されるんです。
多分小学校低学年くらいのころの記憶だと思うんだけど、いまでも鮮明に覚えています。衝撃的でもなんでもない光景なんだけど、子供ながらに「母の売り上げに貢献した!」みたいな自負?誇り?みたいなものがあったのかも。


今年は仕事が変わったこともあって変化の1年だなと思っています。大真面目にってわけじゃないけど、社会の仕組み、世間の動向にアンテナを張るようになった気がしています。
英語で言えば、ライター、なんだろうか。それを名乗るには文章がハチャメチャだけど。
5年以上社会人やってきたし、ある程度社会の仕組みはわかってらあ~なんて調子に乗っていましたが、まさしく氷山の一角、冗談抜きに1ミリも世の中を理解していないということに気づいてガックリしています。

ほらね、こうやって話があっちこっち揺れちゃうのよ。ま、とにかくこういうだらっとした文章を書くことでリフレッシュすることもあるのです。

だらだら文章に最後までお付き合いいただいたそこのアナタ!本当に、本当にありがとうございます(*´з`)