来年こそは「あやめ祭り」!!

こんばんは!
元あやめ娘のあやきです(^^)/今年はあやめ祭り自体が中止になってしまいましたね(´;ω;`)
あやめ娘としてではありませんが、ちょこっと接点があったのでさみしい限りです。


さて、すこーし前に実は潮来に足を運んでいました。
藤の花がきれいに咲いていましたよ。

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外出自粛とはいえ、せめて四季折々の花を楽しみたいというのはみんな同じなんですね。

太陽の光の加減によって見え方が違うのもまた趣があってよいです。

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なんて、社会人になるまで全く思ったこともなかったなあ。
「花が咲いているから、なに?」みたいな今思えばちょっと冷酷な態度をとっていました。

なんで考え方が変わったかっていうのを、おうち時間を使って考えてみました。
たぶん、色んな人に会うという経験ができたからなのかな、という結論にいたりました。

わたしが小さいころ、アパート住まいでした。管理人さんが心の広い人で、「駐車場裏にある草むらのスぺースはアパートの住民で話し合って自由に使っていいよ」と言ってくれたそうで、うちの母はちょっとしたガーデニングをしていました。ラベンダーとかミニトマトとかピーマンとかなんでも育てていた記憶があります。

両隣のおばちゃんたちから肥料もらったり、野菜のおすそ分けもらったり。その代り、冬場は駐車場の雪かきをしてあげたり。おかげでよく見る花の名前くらいは憶えられたので感謝です。
でも、特別「花が好き!」っていうわけではなかったんだよなあ。

 

じゃあどうして「花を見に行きたいな」なんて思うようになったかというと、小さいころのその経験にプラスして、社会人になってから花を育てるたくさんの人に取材できたからなんだと思います。

 

新卒で就職したラジオ局では、生中継のために短時間で取材して、音声だけで私が目で見ている情景を伝えるってことを心がけていました(できていたかは置いといて!)。その人がどんな気持ちで花を育てたのかを聞くと、「そっか、そこら辺の花(失礼)でもこんなに愛情をもって育てている人がいるからこんなにキレイに咲いているのか」という当たり前のことに気づきます。

そうすると、「花が見ごろを迎えています」というニュースを読んだり、見聞きするたびに「どれだけの苦労があったんだろう」「例年どおり育てられただろうか」など思いをはせるわけです。

 

「顔が見える野菜」っていう言葉をよく聞くようになりましたが、花が咲くたびに「顔が見える花」を意識します。


さいころ母が育てていたラベンダーも、初夏の日差しを浴びながら雑草抜きをして、収穫した後ポプリにするために麻紐でラベンダーを束ねていた母の顔が浮かぶし、潮来の藤棚だって、きれいに咲くように整備している人(具体的に誰かはわからないけど)の顔を想像します。

そんなわけで(?)、せめて近所の花を見て四季を感じたいなあと思いました。それだけ。


今年のあやめ祭りは中止になっちゃったけど、来年無事に開催できることを心より願います!

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去年のいまごろはこんな感じで活動していたのだなあ。

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懐かしき。

 

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▲協力隊卒業のときに、役所の同僚が書いてくれました!アリガトウ(´;ω;`)!!!

 

はやくコロナおわれーーーー!!!!