まもなく30歳を迎えるにあたって

こんばんは!あと1週間以内に20歳代を卒業するあやきです。一番気がかりなのは、アンケートで「25~29歳」が「30~34歳」にチェックを入れることになるということです。フフフ

いや、まあそんなに気にもしていませんが。

 

年を重ねる前にふと自分を振り返ってみようかなと思い、つれづれなるままに書きます。興味のない方は飛ばしてくださいませ!

 

1991年 さとう家長女として生誕

→地元の中学校に入学。バスケ部に入部。3年生でまさかの部長に!やたらと声がでかく、体力があり、遠投が得意+スリーポイントシュートの確立が割と高い選手として過ごす

→地元札幌市内の高校に入学。志望理由は英語が勉強できること、プール・スキーがないこと。中学時代バスケ部で部長をしていたこともあって自信があったものの、北海道ベスト8に入るくらいの強豪校だったこともあって晩年ベンチ。

2010年 高校卒業するも大学が決まらず浪人

2011年 浪人するも希望する学校に入れず地元の私立大学入学

くだらないプライドが邪魔をして自分の成長の何かを妨げていると感じてバスケ部から離れることに。弟と妹が習っていた武道(空手)に憧れて個人競技に転身。聞いたことも見たこともない少林寺拳法に入部。

 

少林寺拳法の経験はすごく大きかった。思えば中学時のバスケ部の顧問の先生も、高校の時の顧問の先生も、人生においてすっごく大事なことを指導してくれていたのに「自分の考えが正しいのだ!」なんていう今考えれば本当にくっだらないこだわりのせいで自分の成長にストップをかけていたのかも、なんて後悔してもしきれない後悔をしています。

大学では「自分はなにも知識のない初心な人間だ」っていう気持ちを、部活だけじゃなくて講義でも常に持つようにしていたおかげか、疑問に思ったことはすぐに質問できました。高校生までのわたしだったらありえなかった。質問する一時の緊張とか恥ずかしさを乗り越えることがどれだけ将来につながるかってことを全く分かっていなかったから。

 

もちろん1回教えてもらったことは忘れないように反芻して、二度と同じことをきかないように心がけてました。同じこときけば「話きいてなかったのかよ」って思われて当然だし、「聞く気ないなら教えない」って思われるのも嫌だったので。

 

そして2014年の就職活動開始時期。キャリア支援センターに「マスコミ志望です」と告げにいくと「うちの大学からマスコミ?考え直したほうがいいですよ」と苦笑されたのが悔しくて。確かに北海道の一私立大学だし、何人かフリーアナウンサーとか局アナとか大泉洋さん率いるチームナックスの母校ではあるけれど、コネみたいなもんだから、みたいなこと言われまして(実際は彼ら・彼女らの実力のハズだけど)。

 

ちょうどキャリア支援センターにいくちょっと前に、兼部していた放送同好会に「コミュニティラジオのパーソナリティやりたい子いない?」という声がかかっていて、即立候補したこともあって週1回しゃべってたんですよね。それもあってかちょこちょこ書類も通り始めました。

テレビが第一志望だったけど、テレビ映えするほど容姿端麗でもないからちょっと難しいかな、と思ってた時期に、コミュニティラジオの経験はものすごく大きかった。すぐに反応が返ってくるし、会ったこともない人が傍にいるっていう安心感が常にあった。

とはいえマスコミだけじゃ将来に不安がありすぎて、北海道内の製菓会社とか不動産会社含めて130社以上は履歴書・エントリーシートを出しました。そのころはPC入力不可のところが多くてほぼ手書き。何本のボールペンを使ったことか。

 

一緒にコミュニティラジオをやっていたミキサー兼ディレクターさんの笑い声にものすごく助けられて「ああ、この話題やってよかったな」って思えたんです。だから見た目ではわからないけど楽しい雰囲気が伝わる笑いっていうものがいかに大事かっていうのをそこで学びました。

 

マスコミに関しては100社くらい受けて、ようやく茨城のラジオ局に決まって、コミュニティラジオの最後の放送の日。地元のお友達やリスナーさんからねぎらいの言葉、おつかれさまの品々がたくさん届きました。「絶対に泣くまい」と思っていたけど、「それではまた逢う日まで!」という言葉で締めてマイクをオフにした瞬間あふれ出る涙。部活の最後の試合でも出なかった涙が、この瞬間あふれ出ました。理由はあるんだろうけど、それを追求しちゃうのは何かが違う気がするから解決しないことにしています。

 

あれからもう5年以上たちました。

 

アナウンサーとして3年働いて、私自身の体調不良で退社して。実家に戻れば回復すると思ったけど、やっぱりダメで。しゃべりたいのにしゃべれない。本当に苦しかった。自分の体が言うことをきかない。すっごく苦しかったです。初めていいますが、いまもしゃべりたいのにしゃべれません。普通の会話も、ごくたまに苦しいです。

 

しゃべる仕事じゃなくても茨城で暮らしたいっていう気持ちが強くて、札幌でちょこっとラジオの仕事していたけどしばらく「話す仕事」から離れたくて市役所で働くことにしました。

といっても内勤だけじゃしんどいから、地域おこし協力隊ってのを選んで、取材して記事を書くって活動を軸にして活動していました。結局人のお話を聞くのが好きなのよね。

 

で、台風15号と19号が来た時に、当時住んでいた潮来市の停電情報が何も報道されていないっていう茨城の圏域ラジオ局に腹が立って「だったら私が報道で取材したる!」ってなわけで受験したら受かっちゃったわけです。よく「声かけられたから戻ったんでしょ?」って言われるんですけどそうじゃないんです。自分から選んだ道です。

 

でも「おかしいな」って思ったことを言ったらあっというまに異動になって契約終了を言いわたされました。直属の上司はあっぱとっぱで自分じゃ何にもできないから新しい人をとるみたいだけど。

 

まあそれはいいとして、いまは取材して文字を書く仕事をしています。人生初の正社員です。あんまり契約とか正社とか意識したことないけど、来年のこと、再来年のこと、5年後のことを考えて仕事できるから気持ち的にはすごく楽です。

 

 

今週30歳になります。

プレゼントをくださる、なんてかたは、水戸の中央郵便局留めで送ってね(#^^#)笑

 

近いうち、フリーペーパー載るんで見てね~(((o(*゚▽゚*)o)))