つれづれです

ふと、本当にふと思ったことが。

同じ職場で働いている人と何気ない話をしていたら、彼女が担当していた番組の最終回を見学していたことを思い出したのね。

 

新卒で入った会社の研修はスタジオ見学。ラジオ番組オンエアの流れを見るってもの。スタジオに入って声を出すわけでも、メールチェックをするわけでもなく、ただ見てるだけ。「これって何の意味があるんだろう?」って当時は思ってたけど、現場を見るって大事だなって思います。体感することって大事。

 

で、その彼女の最終回を見たとき、エンディングで彼女自身もスタッフもうるっときていて、それが伝播したのもあって私もうるっときたの。「ああ、こんなに想いを『ことば』と『間』と、話術とかいろんなことぶっとばして全身で伝えられるものがあるんだ」って感じた瞬間でした。それと同時に、「この人みたいな『ことば』を届けられるようになるには何をしていけばいいんだろう」って。

 

話は戻るけど、私が彼女の最終回の時にうるっときたのにはもう一つ理由があって。
大学生のころ1年半、あれ、2年くらいコミニュティラジオで喋ってたことがありました。途中で就活だったり何だったりで穴をあけることが多くありました。たった週一回のチャンスだったのに。

それでも最終回のときにはグッとくるものがあって。「さようなら!」って言ってカフ(マイクのオンオフ)を下ろした途端、ぶわっと涙が出てきて。ラジオを聴いてくれていたリスナーさんの顔(実際のものとは多分違う、わたしの想像上のもの)が走馬灯のようにドバドバと脳内を駆け巡って。

 

彼女の最終回と、わたしのコミニュティでの最終回が被って、昨日たまたま思い出されたわけです。被るなんて上から目線な感じもするけど、似てる感覚があったのです。

 

なんだかんだあって、結局マスコミにいます。いや、ラジオにいます。わたしの幼少期の家族での道の駅巡りをサポートしてくれたラジオ、学生時代に朝のリズムを作ってくれたラジオ、「これ」「あれ」が通じないことを教えてくれたラジオ。
テレビ見ながらラジオ聴いて本を読むという聖徳太子の弟子みたいなことしてます。

 

よし、明日もがんばーろー!